母が事故にあった1月22日のお昼頃、僕はクルマを走らせながら富士山を眺めていた。
この日、そのまま実家に向かっていれば母の事故は防げたかもしれない。
他にも事故を回避させる様々なチャンスがあったにも関わらず、僕はそれらを活かすことが出来なかった。
地元の川西市や猪名川町は好きだけど、母との思い出の場所が沢山あり過ぎて嫌になる。
伊丹空港に行っても、イオンに行っても、王将に行っても、元気だった頃の母を思い出してしまう。
父も母も亡くなったら、地元を捨てよう。
急性硬膜下血腫の母と心臓病の父 ~老老介護~
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