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急性硬膜下血腫

記憶力が弱まる母 : 急性硬膜下血腫、手術後140日目の後遺症

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母と父に面会する為、日帰りで東京~大阪を往復

日曜日のスケジュールに少し余裕があったので、東京→海老名サービスエリアまで行く予定を変更し、実家のある兵庫県までクルマで移動する事にした。

東京都内から関西の中国豊中ICまではクルマで約8時間。

急げばもっと早く着くんだけど、途中で休憩を挟みながらだとこんなもんだ。

運転中は「将来の不安」や「経済的に転落する恐怖」を忘れられる貴重な時間。

入院中の母の様子

今日の母は体調が優れているのか気分が良いのか分からないが、何度も笑顔を見せてくれた。

食事の様子も見ることも出来て、有意義な時間が過ごせたと思う。

食事をする母に対し、「すごいね! よく食べられたね! えらいね!」という言葉を投げかけつつ、「昔はこうやって僕を褒めてくれたのにな…」と小さい頃を思い返していた。

備忘録を兼ねて、母について分かったことを箇条書きしておく。

・ 母は自分の旧姓も思い出せない
・ 父や身内の名前も思い出せない、もしくは曖昧
・ 母が事故前に吸っていたタバコの銘柄は即答出来る
・ 欲しいもの、行きたい所を尋ねても考えるだけで答えを発しない
・ 親戚に貸していたお金の事も覚えていない
・ 僕が東京に住んでいる事も覚えていない
・ 「父に何か伝言は?」と聞くと、「愛してる(と言っといて)」と答えた
・ 十八番だったカラオケの曲名は覚えていた
・ 母が愛情深く飼っていたペットについて、犬なのか猫なのかも忘れていた

過去の記憶に触れなければ、母とは一往復分の会話を楽しむ事が出来る。

それが幸せな事かどうかは分からないけど。

車椅子に乗りながら見送ってくれる母

閉鎖病棟に入院している母は移動が大きく制限されている。

母に別れを告げて帰ろうとすると、車椅子に乗りながら出口の方まで見送ってくれた。

エレベーターのところまで見送って欲しかったけど、母とは閉鎖病棟の扉の前でお別れだ。

名残惜しそうに扉越しに手を振ってくれる母。

何を思い、何を楽しみ、何を悲しみ、何を生きがいにして毎日生活しているのだろう?

母は今、幸せなのだろうか?


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